訪問者がカメラを覗くと、その顔はキャンパスの絵にぴったりとはまる。その人の表情に反応し、音が奏で られる。一枚の絵に訪問者の身体が重なり、新たな肖像画を作り出す。
ヒトをプログラムが認識し、その情報を変換し、デジタル信号で出力する。画家たちが、ヒトを見て、感じた ものを筆に乗せてキャンパスに描いていくように、プログラムはその人をデジタル信号で描写する。
プログラムは、画家になり得るのだろうか。肖像画家は人の外見を描写するだけでなく、その人の性格や性 格を描写することを試みている。数多くの著名な画家、グラフィックアーティスト、彫刻家が肖像画を集中 的に扱い、それによって多種多様な表現の開発に貢献してきた。 肖像画は15世紀末から1900年頃にかけて貴族を中心に全盛期を迎えた。19世紀以降、写真、映写技術の 発達により肖像写真は肖像画を補完し、シーケンスを持つフィルムアートの領域にも広がっていった。この ように表現の幅が多用していく中でも、それを創造するのはヒトの身体であり、作家の感情的知性が創造 の源であった。 人間は自分自身を他人に感じ取ること、同情や共感を感じること、同情、同情、悲しみ、恐怖、喜びを表現す ること、怒りを爆発させることなどができる。また、人の身体の言語、つまり顔、身振りなどを観察することに よって、人の感情を「読む」ことができる。
人のように振舞おうとするプログラムは、デジタル信号でその肖像を描写する。その信号は、デバイスを通 して伝わる。それはインターネットを介し、無限に複製、共有され増殖していく。プログラムの画家には、そ の作品を展示する場所の制限も、キュレーターの好みも必要がない。ギャラリーという場所を離れ、展示・ 公開されていく。インターネット上に鑑賞者がいれば、検索されて出てくるだろうし、グーグルのおすすめに 出てくることもあるかもしれない。そこにははるかに自由な世界が広がっている。
新しい肖像画の形を模索し、その所存の同時多発性や空間の拡張性、新たな技術との向き合い方につい て思索する。